お元気ですか・タイトル
健康に感謝して
          
 退職して十数年過ぎ、七十才になりました。
 降圧剤を飲み、糖尿病の予備軍にはなっていますが、食事に気をつけている程度で他に大きな病気は見つかっていませんので、まあまあと言った所です。
 十数年前、ボランティアで図書館の整理等の作業などを手伝うため、NTTのOBと二人で始めたのですが、いつの間にか人形劇をするようになりました。今ではOBを含む五人で「こぐま座」という人形劇のグループで、保育所、小学校、地域のいきいきサロン等で公演しています。人形は全て手作り、大道具、小道具等工夫して作りました。週一回集まり、練習や人形の修繕等をして次の公演に備えています。今までで宙六十回の公演をしたことになります。
 他に、月に二回の水彩画教室で、年に三枚くらい仕上げ、毎年市展に出品しています。
 その他に今一番楽しみにやっているのは、週三回のテニスです。膝にサポートをして痛みを騙しくやっています。あと一年?二年?出来るかわからないのですが、今しかない″。
 暇をみつけて、野菜を無農薬で作り、近所の人に食べてもらったり、子供達の所へ送ったりもしています。自分で育てた物を食べるのも食べてもらうのも楽しみでもあり、これからも少量でも多種類をと挑戦していきます。
 あれもこれもと欲張っていますが、健康あっての今の私だと感謝しています。 
谷  律枝
(土佐清水市)


第195掲載
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生かされている!
           
 私も、後期高齢者の仲間入りにあと5年となった。思えば、職場の少し先輩や同僚・後輩また学校の同級生もたくさん亡くなっている。
  子供の頃から体が弱かった私が、三つの病院で4科目・5つの病気で病院通いをしながらも、妻の支援もあってなんとか自分ができるボランティアを続けられている。
 私よりも、さらに体が弱い母が今年満93歳となった。我が家で薬を飲んでいないのは母だけである。大正生まれ恐るべし。なかなか父が迎えにこないので、母は長生きしすぎたといつも言っている。
 母も私も、「生かされている」と思う。もっと生きよ!ということかと思っている。私も、あとどれだけ生きられるかわからないが、家族に迷惑をかけずに迎えが来るまで頑張って生きねばと思う。
 妻に感謝!!。
曽我純司
(安芸市)

第195号掲載
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毎日忙しくしています
           
 皆さん今日は、今年で退職して十四年になります。現在は孫(4才、2才) の朝夕の送り迎えで毎日忙しく、なかなか夫婦で旅行等に行く事ができません。
 どこか連休でもうまく利用してと考えこの三月末日、石垣島に二泊三日で予約しましたがどうなることやら?
 また兄が障害者施設の土佐希望の家にお世話になっているため、そこでの障害者を守る会のボランティアとして動いています。
 年に数回東京や四国の各県に会議等で参加しています。父母の亡き後は、これが私の仕事だと思いできるだけの事はしたいと思っています。
 電友会は地域情報員ぐらいしか手伝いができませんが、よろしくお願いします。
   虚子一句
時ものを解決するや春を待つ″
福井三男
(いの町)
 

第195号掲載
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自家の米、豆で味噌作り
          
  梼原も今年の冬は雪も少ししか降らなかったので暖かくすごす事が出来ました。
 田や畑の手伝いをしながら、一カ月に二回、お友達の便で須崎公民館へパッチワークを習い
に行っています。いろいろお話も聞けて楽しいです。
 老人会にも入り一年に一度は老人芸能大会・老人体育大会、いろいろしています。
 一月になると家で作った米・大豆で味噌作りしています。仲良しグループ四・五人でたのしいです。一年位で食べられます。
 皆様のご健康をお祈りしています。
又川津八子
 (梼原町) 


第195号掲載
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「毎日が充実して自由」  ゆるやかに流れる時間に負けず
 福沢諭吉の少なさにも負けず
 スーパーに買い物に行き
 一日三度の食事を作り
 着なれた服を着て暮らす
 欲は持てず決していかれず
 たまに山に芝刈りに行き
 土ごと芝をかる
 野原の松の林の陰で小さな鉄の棒をふり
 芝に転がれば喜び
 前の木に当たれば嘆き
 鉄の棒を見て首をかしげる
 みんなに暇ではないかと言われ
 自分は好きな時に何でも出来る時間を生きて いると言い
 毎日が充実して自由だと言いながら日々が過 ぎている
米津正清
(高知市)

第195号掲載 
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今年の春  あれは平成14年の事だった。私は札場ビルの3階、エンジニアリング担当と言う部署で仕事をしていた。そう私が58歳の時のことです。
 苦から犬が好きで、丁度その頃、子供も犬が飼いたいと言い始め家族の会話にも犬の話題が良く出るようになっていた。当時は今のようなペットショップも少なく、日曜市に行くと店のおばさんが箱に子犬を入れ、誰か貰ってね。とマジックの大きな字で引き取り手を探していた。
そんな時に札場ビルのL目転車置き場に野良犬が子を産んだ。その数6匹、始めは僕も知らなかったが昼休みに外に出ると、人だかりがある。見てみると何とかわいい犬・犬・犬
 野良犬の子でもつぶらな瞳、無邪気に遊ぶ姿はホントかわいい。昼の食事が終わるといつも、犬のとこに行くようなっていた。そうです。その犬の1匹を連れて帰る事にしたのです。
 仲立ちは1階に女性の職場があり、とても犬の好きな方がいて、「そればあ犬が好きやったら飼っちゃってや′」 の一言でした。あれから12年、くりのすけと名を付け朝夕の散歩は勿論、お出掛けも一緒、互いに目と目で話の出来る間柄になっている。
 今年の春、その犬ともう少しで、お別れしてもおかしくない程の危機が待っているとは思いもしてなかった。大病をしたのです。もしかしたら、もうお別れかなと涙を流した事もあったが大手術で何とか一命を繋いだ。日は薬で段々といつもの犬に戻りつつありほっとしている。
 近況を文にして欲しいとの便りだったが、とりとめない犬の話になった。まあ、私も元気と言う事だけは伝わったと思う。
 もう梅も咲き土筆も間もなく顔を出す。嬉しい春の訪れとなるが、皆様もどうかお元気でお互いに愛する者と共に、楽しいひとときをお過ごしされますよう祈っています。
高橋孝也
 (南国市)

第195号掲載
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最近少し元気です  何の変哲もない生活を、だらだらと過ごしているうち、いつの間にか八十五歳という予想もしなかった超高齢者になったことに愕然としている今日此の頃です。
 さて、当方には皆さんにお伝えする程、価値ある個人的近況はありません。ただ、ボケ防止のため、政治や社会問題には常に関心を持ち、アンテナを張り続けることで、脳内活性化につとめております。
 その意味で、一昨年暮に政権交代が起こり、落日の一途を辿り、行く末が案じられたわが日本が、力強く立ち直り世界での存在感を取り戻しっつあることは、この老人にも勇気と元気を与えてくれました。
 いずれにしても、残り少ない人生ではありますが、いま少し老骨に鞭打って此の国の行く末
を見守る気になっている次第です。
 それにつけても腹立たしいことは、近隣諸国に阿ね、復活日本の足を引張るマスコミ (郷土紙を含む) の多さで、些かマスコミ不信に陥った結果、五十年間購読してきた郷土新聞と契約を解消し、ある中央紙に変更しました。その結果、今まで「井戸の中の蛙」的論理に浸されて、思考停止に陥っていた自らを発見し、些かフレッシュな気分に浸っていることを蛇足ながら付け加えておきます。
窪田剛介
(高知市)


第195号掲載 
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